礼拝メッセージ2022/01/23

2022年3月1日

2022年1月23日
聖 書:[エペソ人への手紙 2:19] こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。
題 目:神の家族として生きる

今日は伊勢崎聖書キリスト教会が目指している3番目の項目である神の家族として生きるに対して恵みを分かち合いたいと思います。

家族とは何か(定義)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると。
家族とは、婚姻によって結びつけられている夫婦、およびその夫婦と血縁関係のある人々で、ひとつのまとまりを形成した集団のことである。婚姻によって生じた夫婦関係、「産み、産まれる」ことによって生じた親と子という血縁関係、血縁関係などによって直接、間接に繋がっている親族関係、また養子縁組などによって出来た人間関係等々を基礎とした小規模な共同体が、家族である。とあります。

家族の持つ機能には、性的、生殖、扶養、経済的生産、保護、教育、宗教、娯楽、社会的地位の付与などがあるとされる。しかしこれらは社会の変化に伴って、その意味も機能も大きく変わりつつあります。
昔は生きるために家族がいなければいけませんでした。しかし現在は家族がいなくてもいけるようになりなした。そのため家族にはどんな意味があるかなと疑問が生じます。
こういうことを踏まえながら私たちが神の家族として生きることに対して考えていきたいと思います。
今日の本文をもう一度読んでみましょう。
[エペソ人への手紙 2:19]こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。この箇所での「あなたがた」とは、誰のことでしょうか。答えは12節にあります。
[エペソ人への手紙 2:12]そのころは、キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちでした。とあります。
つまりあなたかたとは「イスラエルの民から除外され人」「約束の契約においては他国人」「望みもなく、神もない人たち」のことですが、これらの人々が「同じ国民」「他国人でも寄留者でもなく」「神の家族」になったことです。
なぜでしょうか。どのようにして「イスラエルの民から除外され人」「約束の契約においては他国人」「望みもなく、神もない人たち」が神の家族になられたでしょうか。
[エペソ人への手紙 1:5]を読んでみましょう。
1:5神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。とあります。
変わることのない我らの主、神様は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちを神の家族として迎え入れてくださるためにイエス・キリストを通して、私たちをご自分のもとに引き寄せました。つまり神様のご計画によって神様の家族になったのです。
そして、神の子どもとなり、神の家族となった者には、その家族の財産の分け前があります。その財産とは何でしょうか。
普通の財産と言えば、金銭や不動産です。神からの財産はそのようなものではありません。 神様から与えうる財産は「永遠に神と共に生きるように、過ごせるように」なったことです。これに何を意味するかというと痛み、苦しみ、死から解放されること。私たちの苦労が報われること。そしてやがてキリストの似姿つまり、朽ちないからだに完全に変えられることを意味します。
しかし今日の教会はどうでしょうか。未だに多くの人は地上の財産を望んでいます。それが与えられると祝福されたと思います。勿論この世で生きるためには地上の財産も必要ですが、それだけが望みなら、本当に神の家族として生きていると言えるでしょうか。神の家族として生きるためには何が必要でしょうか。
[エペソ人への手紙 2:18]このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。とあります。
二つと一つに注目したいと思いますが、神の家族として生きるためには一つの御霊によって二つのものが「一つになって住む」ことが大切です。しかしそれがなかなか難しいのです。なぜなら難しくさせる問題の原意は自分の内にありますが、私たちは他の人のせいにしているからです。しかし神様はそんな私たちがキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことを神の家族として生きるように願っているのです。

最後になぜ、私たちには教会という家族が必要なのでしょうか。その理由を考えてみましょう。
理由は、「人はひとりでいることは良くないからです。
[創世記 2:18]また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」そしてなぜ私たちには教会という家族が必要なのか、その理由は、私たちが信仰から落ちないようにするためです。サタンは神の家族から離れて遠ざかって孤立した信者が大好きです。そして、神の家族として生きることによってこの世に神様の存在を、愛を示す必要があるからです。
そのためには「互いに」愛し合う・祈り合う・仕え合う・理解し合う・励まし合う・受け入れ合う・教え合う・尊敬し合う・ゆだね合うことが大切です。

私たちが神の家族として生きるためには私たちはキリストをかしらとする一つの体であることを忘れないことです。神の家族としての教会が建て上げられるように祈りましょう。