20そうです、兄弟よ。私は主にあって、あなたの厚意にあずかりたいのです。私をキリストにあって安心させてください。21私はあなたの従順を確信して書いています。私が言う以上のことまで、あなたはしてくださると、分かっています。22同時に、私の宿も用意しておいてください。あなたがたの祈りによって、私はあなたがたのもとに行くことが許されると期待しているからです。23キリスト・イエスにあって私とともに囚人となっているエパフラスが、あなたによろしくと言っています。24私の同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカがよろしくと言っています。25主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。
本文の注解
13‐16節
パウロはオネシモに対する自分の心をピレモンに伝える。パウロは回心して役に立つ者となったオネシモを自分のもとにとどめておきたかった。獄中にいるパウロは誰か助け手が必要であった。その彼のそばにオネシモがいた。それは自分にとって有益なことであった(13節)。しかし、パウロはそれを一方的に決めて、通知するようなことはしなかった。なぜなら、オネシモの主人であるピレモンの同意なしには何一つしたくなかったからである。親切は、強制されたものではなく、自発的でなければならない(14節)。
オネシモがしばらくの間離れたのは、ピレモンが永久に彼を取り戻すためであった(15節)。そして、これから、オネシモは奴隷以上の者、「愛する兄弟」として取り戻すためであった。オネシモは、パウロにとっては主にある兄弟となった。それだけでなく、ピレモンにとっても兄弟となった(16節)。
17ー20節
パウロは自分を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えることを願っている(17節)。注目すべきことは、パウロが奴隷のオネシモを自分をと同じく思っていることである。それは、彼はいつも自分の言ったとおり、奴隷も自由人もなくキリストにあって差別はない(コロサイ3:11)。さらに一歩進んで、パウロはオネシモが損害を与えたか、負債を負っているなら、自分に請求して欲しいと言いている(18節)。オネシモがピレモンに損害を与えたのは、確実である。そして、その負債は、自分が支払うことを約束する。私パウロが自分の手で、「私が償います」と書いていますとは、償いの保証書だという意味である。同時にピレモンも自分にもっと負債があることを思い出させる(19節)。
それでは、ピレモンは、パウロに何の負債があるのか。ピレモンは、パウロが伝えた福音によって救われた人であった。それはパウロに対して霊的な意味での負債を負っていることとなる。
20節でパウロはピレモンが自分の懇願を叶えてくれることを期待している。そして、主にあって、ピレモンの厚意により、彼の心がキリストにあって安心することを願っている。
21~25節(締めくくり)
パウロは今まで話したことを振り返りながら、ビレモンが従順して、願いを聞き届けてくれるという確信を持って手紙を書いた。パウロが言う以上のことまで、ピレモンはしてくれることを期待していた(21節)。同時に、自分の宿も用意するように、ピレモンのもとに行くことが許されると期待していた(22節)。
23-25節
同労者たちの名前が上げられている。マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカ。ピレモンがどのように応答するかを注目している。
この手紙は、ピレモン個人を超えて、教会全体が関心を払う内容になっている。オネシモは主人ピレモンに損害を与えて逃げた。獄中のパウロは奴隷オネシモにあって福音を伝えて彼をキリストに導いた。そして、オネシモの主人であるピレモンにクリスチャンになったばかりのオネシモのための保証人として立つ。ここでパウロの主な目的は、ピレモンと家の教会がキリストにあって、新しい人となったオネシモを許し、共同体の一員として受け入れることである。共同体は、以前は奴隷だったオネシモの変化を慎重に受け取って、キリストにあって愛の兄弟として彼を受け入れることである。
コロサイ人への手紙4:9節を見るとピレモンはパウロが願った通りにオネシモを受け入れただけではなく、以上のことまでしてくれたことが確認できる。ピレモンはパウロと福音のためにオネシモを解放した。
9 また彼は、あなたがたの仲間の一人で、忠実な、愛する兄弟オネシモと一緒に行きます。この二人がこちらの様子をすべて知らせます。(コロサイ4:7‐9)
事実、アダムにあって生まれたすべての人は、罪の奴隷、罪のしもべである。しかし、福音を聞いて新たに永遠のいのちが与えられた。罪の奴隷から、神様の子どもとして生まれ変わった。そして私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みが与えられた。神様は計り知れない恵みの中で福音を伝えること、主の働きのために遣わす。 その場合、私たちに要求されることは、忠実だ。
人は私たちをキリストのしもべ、神の奥義の管理者と考えるべきです。2 その場合、管理者に要求されることは、忠実だと認められることです。(1コリント4:1‐2)。
私の黙想
オネシモは奴隷であった。奴隷の彼は福音を聞いてキリストに導かれて人生が逆転された。役に立たないものであった、彼が役に立つものとなったのだ。私はどうだったのか。私は人の奴隷よりももっと悲惨なサタンの奴隷であった。霊的に罪の奴隷となり、自らの力では罪の縛りから抜け出すことはできなかった。罪と死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれて永遠に滅亡する存在であった。
しかし、神様の計り知れない御恵みは私のようなものにまで届かれて、神様の子となる特権が与えられた。キリストによってすべての罪から解放された。解放されたばかりか。以前は役に立たないものであったが、今は主の福音を伝える、役に立つものとされた。福音を伝えることには多くの信仰の同僚者が必要である。心込めて、どんなことがあったとしても信頼ができる。互いに委ね合うことができる同僚者が必要である。どのような人が愛の同僚者になるのか。
ピレモンとオネシモは身分の差があった。しかし福音を聞いた彼らをキリストにあって愛の兄弟となった。そのように世の中では差別や身分の差があった人々が福音を聞いて、キリストにあって一つとされキリストを頭とする教会を成長させて行くのだ。
気温がまた寒くなって来た。使徒ペテロを通しての御言葉が、心に浮かぶ。
第一ペテロの手紙1:22 あなたがたは真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、きよい心で互いに熱く愛し合いなさい。
黙想の祈り
神様、パウロの愛とピレモンの寛容により、人生が逆転されたオネシモを見ると、まるで自分の姿を見ているような気がします。主人に損害を与えて逃げ出した奴隷。しかし主は福音によって彼をキリストに導きました。奴隷であった彼はもう奴隷ではなく、愛の共同体の一人になりました。
お、、主よ。オネシモのような私を赦し、永遠のいのちを与えてくださいました。そして、その恵みを伝えるものとして立たせてくださいました。その恵みに何をもって返すことができるでしょうか。へりくだって主のみ前に行きます。私を導いてください。
イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン
