1しかし、御民の中には偽預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れます。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込むようになります。自分たちを買い取ってくださった主さえも否定し、自分たちの身に速やかな滅びを招くのです。2また、多くの者が彼らの放縦に倣い、彼らのせいで真理の道が悪く言われることになります。3彼らは貪欲で、うまくこしらえた話であなたがたを食い物にします。彼らに対するさばきは昔から怠りなく行われていて、彼らの滅びが遅くなることはありません。4神は、罪を犯した御使いたちを放置せず、地獄に投げ入れ、暗闇の縄目につないで、さばきの日まで閉じ込められました。5また、かつての世界を放置せず、不敬虔な者たちの世界に洪水をもたらし、義を宣べ伝えたノアたち八人を保護されました。6また、ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、不敬虔な者たちに起こることの実例とされました。7そして、不道徳な者たちの放縦なふるまいによって悩まされていた正しい人、ロトを救い出されました。8この正しい人は彼らの間に住んでいましたが、不法な行いを見聞きして、日々その正しい心を痛めていたのです。9主はこのようにされたのですから、敬虔な者たちを誘惑から救い出し、正しくない者たちを処罰し、さばきの日まで閉じ込めておくことを、心得ておられるのです。10特に、汚れた欲望のまま肉に従って歩み、権威を侮る者たちに対して、主はそうされます。この者たちは厚かましく、わがままで、栄光ある人たちをののしって恐れません。11御使いたちは勢いも力も彼らにまさっているのに、主の御前で彼らをそしって訴えたりしません。12この者たちは、本能に支配されていて、捕らえられ殺されるために生まれてきた、理性のない動物のようです。自分が知りもしないことを悪く言い、動物が滅びるように滅ぼされることになります。13彼らは不義の報酬として損害を受けるのです。
ペテロの手紙 第二は、聖徒たちに偽教師を警戒させ、真理のうちにとどまるよう勧めている。1章では真理の核心を説き、2章では教会を脅かす偽教師たちの正体を暴露し、彼らに下される審判を予告している。2章の前半(1-13a節)は偽教師たちの振る舞いと彼らが受ける刑罰としての裁きについて記述し、後半(13b-22節)は放蕩な偽教師たちの実態を暴露している。
2章は「しかし」という言葉で始まる。これは、直前の段落で論じられた「真の預言」に対し、偽預言者について言及するためである。すべての預言は預言者自身の考えや解釈によるものではなく、ただ聖霊に動かされた人々が神から受けた言葉を記録したものである。しかし、イスラエルの民の中の偽預言者たちは、自分の考えを預言として伝えた。それと同様に、新約時代にも偽教師たちが現れるのである。
- 偽教師たちの3つの振る舞い(1節)
1節において、偽教師たちは3つの特徴的な行動を見せる。
第一に、彼らは滅びをもたらす異端を密かに持ち込む。 「異端」(ハイレシス)は、「〜を掴む、〜を選ぶ」(ヘレシー)という言葉の派生語である。異端とは、ある行動や思想を選び取り、それを絶対的な真理とみなす宗派や党派のことである。正しい教えである福音は命へと導くが、異端は滅びへと導く。
第二に、偽教師たちは自分たちを買い取ってくださった「主」を否定する。 キリスト教の真理は、神の御子イエスがご自身の命を代価として支払い、罪人を買い取られた(贖われた)ということである。しかし、偽教師たちは主を否定し、特定の教えを説く人間を「主」として崇める。異端の特徴は、創始者や教祖を「主」として仰ぐことにある。
第三に、偽教師たちは自分たちが受けるべき滅びを自ら招く者たちである。 - 偽教師の追従者と真理への誹謗(2-3節)
不思議なことに、多くの人々がそのような偽教師たちに追随する。人々は偽教師たちの放縦で自由奔放な生活に惹かれるのである。
「また、多くの者が彼らの放縦に倣い、彼らのせいで真理の道が悪く言われることになります。」(2節)。
命に至る門は狭く、その道は細い(マタイ7:14)。一方、滅びに至る道は安易で広く、人間の本性は楽で自由奔放な道を好む。「イエスを信じても、だらしなく自由奔放に生きて問題ない」と主張する者たちが、主に異端の追従者となる。
まさにそのような者たちのせいで、真理の道がそしりを受ける。真理の道とは、使徒たちの伝統の上に堅く立つ敬虔な教会を意味する。キリスト教異端とその追従者たちの特徴は、健全な教会を無差別に誹謗することで、神を冒瀆することにある。
さらに、偽教師たちは追従者たちを商品のように扱い、自分たちの強欲を満たす。
「彼らは貪欲で、うまくこしらえた話であなたがたを食い物にします。彼らに対するさばきは昔から怠りなく行われていて、彼らの滅びが遅くなることはありません。」(3節)。
「うまくこしらえた話(作り話)」のギリシア語「プラストス」は、新約聖書の中でこの箇所にのみ登場する。偽教師たちは、人々の耳に心地よい言葉を巧みに作り上げ、愚かで心の定まらない信者たちから金品を巻き上げるのである。
- 現代の異端との共通点
ペテロの手紙第二が記された当時、教会が設立されてからわずか100年ほどであった。しかし、2000年が経過した今も、異端の形態は驚くほど似ている。異端の特徴は、聖書全体が証しする福音ではなく、特定の思想を選択して絶対化することにある。主にヨハネの黙示録の14万4000人が聖書全体の中心思想であるかのように惑わす。
また、異端は教会や信者の中に密かに忍び込む。そして、異端の教祖を「主」として崇める。現代の異端・カルト宗教は、教祖が再臨のキリストであるとか、聖霊であるとか、あるいは神そのものであると偽る。また「母なる神」がいると主張し、神を人間レベルに格下げして説くこともある。性的搾取を行いながら「神との接触だ」と騙すケースもある。異端の際立った点は、既存の教会には問題があると誹謗し、そこから脱会すべきだと主張することである。
問題は、異端の教祖たちが一様に強欲にまみれ、愚かな信者たちの懐を狙っている点にある。教会の建物が売りに出されると、決まってキリスト教系の異端が買い取る。彼らの目的は、手段を選ばず人を集めて勢力を拡大することにある。集団心理に弱い信者たちはそこに巻き込まれてしまう。それゆえか、異端の追従者は非常に多いのである。
- 裁きの3つの例(4-6節)
4-6節では、偽教師たちが受ける裁きを旧約聖書の3つの例を挙げて説明している。ユダの手紙でも同様に、異端者たちへの審判が告知されているが、あちらでは「不信仰な民への荒野での裁き」「堕落した御使いたち」「ソドムとゴモラ」が挙げられている(ユダ5-7節)。本段落では、「堕落した御使い」(4節)、「洪水による裁き」(5節)、「ソドムとゴモラの滅亡」(6節)が例示される。
「4神は、罪を犯した御使いたちを放置せず、地獄に投げ入れ、暗闇の縄目につないで、さばきの日まで閉じ込められました。5また、かつての世界を放置せず、不敬虔な者たちの世界に洪水をもたらし、義を宣べ伝えたノアたち八人を保護されました。6また、ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、不敬虔な者たちに起こることの実例とされました。」
4節と5節において、御使いと世界は神が造られた被造物である。しかし神は、ご自身が造られた御使いであっても、彼らが罪を犯すと「容赦」されなかった。「昔の世界」には人間や動物だけでなく、天と地も含まれる。これらは神が造られ、見て「非常に良かった」ものであった。しかし神は、ご自身が良しとされた昔の世界を「容赦」せずに裁かれた。神が昔の世界を洪水で裁かれたことにより、洪水以降は「第二の世界」となったのである(3:6参照)。
神が昔の世界を裁かれたとき、不遜な者はみな滅びたが、義を宣べ伝えたノアとその家族8人は救われた(5節)。罪に満ちた世界にあって、ノアはただ御言葉に従う義を行った。もちろん、その義は彼自身から出たものではなく、神の恵みによるものである。「しかし、ノアは主の目に恵みを得ていた。……ノアは、その時代にあって、正しく、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ」(創世記6:8-9)。
最後の例はソドムとゴモラの運命である(6節)。神はソドムとゴモラの二つの町を灰にして滅ぼし、後世の不遜な者たちへの見せしめ(警告)とされた。かつてエデンの園のように美しかったソドムとゴモラは灰と化した。これは、将来現れる不遜な者たちへの警告の標識である。
- 義人ロトの救い(7-8節)
5節の洪水の審判で義人ノアの家族が救われたように、ソドムとゴモラが灰となったとき、義人ロトが救い出された。
「7そして、不道徳な者たちの放縦なふるまいによって悩まされていた正しい人、ロトを救い出されました。8この正しい人は彼らの間に住んでいましたが、不法な行いを見聞きして、日々その正しい心を痛めていたのです。」
ここでロトが「義人」として規定されていることは、創世記の記述と相反するように見える。アブラハムは御言葉を信じることによって神から義と認められた(創世記15:6)。対してロトは、人の目に良く見えるソドムとゴモラを選び、約束の地を離れていった(創世記13:10-11)。しかし、8節では、ロトを義人とみなす根拠が説明されている。ロトはソドムとゴモラの不道徳で放蕩な振る舞いに染まることなく、それゆえに正しい魂(霊魂)が苦痛を感じていたということである。
- 二つの結論と偽教師の正体(9-13a節)
9節で著者は、4-8節の3つの例から二つの結論を導き出している。一つは、主が敬虔な者を試練から救い出されること。もう一つは、不義な者を刑罰の下に置き、審判の日まで閉じ込めておかれるということである。
「主はこのようにされたのですから、敬虔な者たちを誘惑から救い出し、正しくない者たちを処罰し、さばきの日まで閉じ込めておくことを、心得ておられるのです。」(9節)。
10-13節は、不遜な者の中でも特に悪質な者たちを浮き彫りにしている。これらは、現在教会を脅かしている偽教師たちを指している。
特に神の厳重な刑罰は、汚れた欲望に溺れて肉に従って生きる者たちと、権威を侮る者たちに下る(10節)。偽教師たちの特徴は、肉の欲のままに行動することである。また、彼らは権威を軽んじる。この権威とは神や主イエス・キリストであり、また健全な教会を意味する。
彼らは大胆不敵でわがままなので、恐れることもなく「栄光ある存在たち(御使い)」をそしる。天にいる栄光ある御使いたちは、神の奉仕者であり(ヘブル1:7)、律法の仲介者である(ガラテヤ3:19)。偽教師たちは自然や社会の秩序を勝手に乱し、律法(御言葉)よりも自分たちの方が優れていると考える。そのため、聖書も自分たちの解釈だけが真理だと主張し、家庭や社会を解体させるような行為も平然と行う。
偽教師たちが権威を蔑むのに対し、彼らよりも大きな力と能力を持つ御使いたちは、主の前で彼らをそしって訴えることはしない。この部分はユダの手紙8-10節でより詳細に述べられている。
「それにもかかわらず、この人たちは同じように夢想にふけって、肉体を汚し、権威を認めず、栄光ある者たちをののしっています。御使いのかしらミカエルは、モーセのからだについて悪魔と論じて言い争ったとき、ののしってさばきを宣言することはあえてせず、むしろ「主がおまえをとがめてくださるように」と言いました。しかし、この人たちは自分が知りもしないことを悪く言い、わきまえのない動物のように、本能で知るような事柄によって滅びるのです。」
12節はユダの手紙10節と類似している。これらの偽教師は、もともと捕らえられ殺されるために生まれついた「理性のない動物」のようなもので、知りもしないことをそしっている(12節)。そして、動物が滅ぼされるように、自らも滅び去る。彼らは自らが行った不義の報いとして、害を受けるのである(13a節)。
本書簡の著者は、異端を持ち込んだ偽教師たちを「理性のない動物」と呼ぶことをためらわない。理性のない動物は、もっぱら性的欲望や物質への強欲といった本能に従って行動する。そのために、ありとあらゆる甘言で信者たちを惑わし、彼らの体を蹂躙し、その懐を狙って富と権力と快楽を享受する。しかし神は生きておられ、生ける神は彼らが行った通りに報いられる。彼らは不義の代価として滅びるのである。
一度きりの人生、この地上で成功し、豊かに暮らし、幸福を享受することが人々の関心の中心(現住所)となっている。そのために、誰もが「成功の神話」を夢見る。問題は、地上の生がすべてではないと教えるべき教会や寺院までもが、現世の望みを目的として信仰を説いていることである。
教会での祈りは、果たして何のためであろうか。もしそれが現世の望みを願い、世俗的な必要を満たすための叫びであるなら、神が忌み嫌われた女たちの慟哭と何が異なろうか。かつて女たちはタンムズの名を呼び、現世の問題解決のために泣き叫んだのである(エゼキエル8:14-15)。
史上最も豊かな時代にありながら、何が不足して「くれ、くれ」と乞い願うのか。物質的に最も富んだ現代は、五感を楽しませる「楽しさ(fun)」を崇拝する時代だ。皮肉なことに、これに呼応する異端勢力も勢いづいている。健全な教会が衰退の一途をたどる一方で、社会的な混乱を引き起こす異端勢力には多くの人々が群がっている。
事実、ペテロの手紙 第二 2章を克明に読み解けば、あえて異端教育を行う必要などない。ここに異端の振る舞いと目的、そしてその結末が赤裸々に示されているからである。惑わされた信者を滅びへと導く異端は、聖書の特定の部分を絶対化して教え込む。彼らは密かに教会や信者の中に侵入する。既存の教会を誹謗し、そこから人々を引きずり出す。結局のところ、彼らが狙っているのは信者の懐(ふところ)である。時には甘言を弄し、時には救いを盾に脅して金品を掠め取ることに長けた者たちだ。問題は、当時も今も、多くの人々がこうした異端を追従しているという事実である。
御言葉を黙想しながら、キリスト者であることの本質について深く省察(せいさつ)する。キリスト者であっても、真理を正しく知るまでは惑わされるほかない。だからこそ、「神はすべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられる」のだ(テモテ第一 2:4)。
真理の柱としての教会は常に存在してきたし、これからも永遠に存在し続けるであろう。依然として罪悪に満ちた世ではあるが、今日も神の恵みを着て、義人として生きることを切に願う。義人ノアのように日々「義」を宣べ伝え、義人ロトのように放蕩な世のゆえに魂を痛める者として立ちたい。機会を尽くして福音の真理を伝え、惑わされた信者たちを真理の中へと導くべきである。
すべての業を行われるのは主なる神お一人である。イスラエルが絶望していたとき、神ご自身が語られた。「わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない」(イザヤ45:5)。ただ神のみが正義を行い、救いを与えてくださる。地の果てに至るまで、すべての者が神に立ち返り、救われるであろう。この信仰をもって、一歩一歩、主と福音のために歩んでいく。
神様。
偽教師に向けられた御言葉が、今日においてもなお鋭く、真実であることを覚えます。異端の背後に潜む悪しき力は、昔も今も変わることなく、人々を惑わし、偽りの教えによって支配しようとしています。「自分たちだけが救われる」と語り、あるいは恐れをもって縛りつけ、心の定まらない者たちを欺き、真理の道から引き離しています。主よ、そのような偽りの働きから、あなたの民をお守りください。
ああ神様。
悲しいことに、多くの人々がその惑わしに従い、異端へと引き込まれています。捧げられたものが不正に用いられ、指導者たちが富と権力を貪る現実を見て、心が痛みます。特に、熱心であるがゆえに欺かれ、家庭が壊され、社会の中で苦しみを受ける人々を、どうか憐れんでください。揺れ動く心を持つ者たちを、あなたの確かな御手で支え、真理へと導いてください。
神様。
あなたの義は決して揺らぐことがありません。あなたは、御言葉に従ったノアを守り、またこの世の不義に心を痛めたロトを救い出されました。どうか私たちもまた、罪に満ちた世の中にあって目を覚まし、義を行う者としてください。罪の流れに飲み込まれるのではなく、むしろそれを悲しみ、あなたの御心にかなう歩みをする者とならせてください。
どうか、無知や弱さゆえに異端に陥った人々を、あなたの真理の光によって照らし、そこから救い出してください。私たち自身もまた、常に御言葉に立ち、偽りではなく真理に生きる者とならせてください。
主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
