聖書の黙想2026/03/26

ペテロの手紙 第二 2:13b-22

13彼らは昼間から飲み騒ぐことを楽しみとしています。彼らはしみや傷であり、あなたがたと一緒に宴席に連なるとき、自分たちのだましごとにふけるのです。14その目は姦淫に満ち、罪に飽くことがなく、心が定まらない人たちを誘惑し、心は貪欲で鍛えられています。彼らはのろいの子です。15彼らは正しい道を捨てて、さまよっています。ベオルの子バラムの道に従ったのです。バラムは不義の報酬を愛しましたが、16自分の不法な行いをとがめられました。口のきけないろばが人間の声で話して、この預言者の正気を失ったふるまいをやめさせたのです。17この者たちは水がない泉、突風で吹き払われる霧です。彼らには深い闇が用意されています。18彼らは、むなしいことを大げさに語り、迷いの中に生きている人々の間から現に逃げ出しつつある人たちを、肉欲と好色によって誘惑しています。19その人たちに自由を約束しながら、自分自身は滅びの奴隷となっています。人は自分を打ち負かした人の奴隷となるのです。20主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪くなります。21義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる戒めから再び離れるよりは、義の道を知らなかったほうがよかったのです。22「犬は自分が吐いた物に戻る」、「豚は身を洗って、また泥の中を転がる」という、ことわざどおりのことが、彼らに起こっているのです。

本文の注解

ペテロの第二の手紙は、密かに異端を持ち込んだ偽教師たちの行状を暴き、彼らが受ける裁きを示している。偽教師たちの行動とその目的は明らかである。彼らは人間から出た特定の教えを絶対化し、信仰の確かでない者たちを惑わす。そして、キリストをかしらとする教会をそしり、自分たちを「主」と呼ぶ。
そして人々を教会から引き離していく。不思議なことに、多くの人々が偽教師たちに従っていく。彼らの目的は、追従者たちの懐から金を巻き上げ、富と権力と享楽を味わうことである。彼らに対する裁きは確実であり厳しい。旧約時代に示された三つの裁きが示すように、彼らもまた差し迫った滅びを免れることはできない。
続く段落13–22節、ここでも著者は偽教師たちの性質を描写し、彼らが受ける刑罰を提示している。もちろん前の段落と同様に、その表現や比喩にはユダの手紙の影響が見られる。またこの段落は、偽教師たちの放縦を強調しながら、信仰の確かでない者たちを誘惑に陥れる性格を特に強く描いている。
13–14節では、一連の分詞や形容詞を用いて、偽教師たちの享楽的な行為と淫らな行為が非難されている。
「13彼らは不義の報酬として損害を受けるのです。彼らは昼間から飲み騒ぐことを楽しみとしています。彼らはしみや傷であり、あなたがたと一緒に宴席に連なるとき、自分たちのだましごとにふけるのです。14その目は姦淫に満ち、罪に飽くことがなく、心が定まらない人たちを誘惑し、心は貪欲で鍛えられています。彼らはのろいの子です。」
偽教師たちは白昼から享楽にふけり、むさぼるように飲み食いする。彼らはこのようなことを楽しみとする、しみときずだらけの人間である。かつて預言者イザヤは、このような者たちに災いを宣告した。
「わざわいだ。朝早くから強い酒を追い求め、夜が更けるまで、ぶどう酒に身を委ねる者たち。
彼らの酒宴には竪琴と琴、タンバリンと笛とぶどう酒がある。彼らは主のなさることに目を留めず、御手のわざを見もしない。」(イザヤ5:11–12)

偽教師たちは宴を楽しみながら、自分たちの欺き(偽りの預言)を盛んに語る。この宴は、聖餐や施しとしての愛餐とは関係のない食事と考えられる。偽教師たちの放縦な飲食は、やがて淫欲へとつながる。彼らの目は姦淫の相手を探すことで満ちている。彼らは罪を犯すことをやめない。
偽教師たちは「不安定な魂」(信仰の確かでない魂)を誘惑し、貪欲を満たすことに慣れている。不安定な魂とは、新しく改宗した人々、あるいは使徒的伝承(福音)をまだ十分に身につけていないキリスト者を指す。偽教師たちは自分の罪に加えて他者を惑わす罪を犯し、神にのろわれた者となる。
15–16節で、著者は旧約聖書の例を挙げて偽教師たちの貪欲を描写する。この箇所はユダの手紙11節と並行関係にある。ユダの手紙ではカインの道、バラムの迷い、コラの反逆が言及されているが、ここではバラムの迷いのみが取り上げられている。偽教師たちは正しい道を捨てて迷い、不義の報酬を愛したベオルの子バラムの道に従ったのである(15節)。
しかしバラムは自分の罪について叱責を受けた。物言わぬロバが人の声で語り、この預言者の狂気を止めたのである(16節)。本来語ることのできないロバが語ったという出来事は、その叱責が神から来たものであることを示している。また愚かなはずのロバがバラムを正気に戻したという点は、この預言者の愚かさをいっそう際立たせている。
17節で、偽教師たちは「水のない泉、嵐に吹き払われる霧」と表現されている。彼らのためには、深い闇が用意されている。水のない泉や嵐に流される霧とは、期待する人々に失望を与えるものの比喩である。彼らには地獄のような深い闇が備えられている。
ユダの手紙1:11–13節では、彼らがさらに具体的に告発されている。
「わざわいだ。彼らはカインの道を行き、利益のためにバラムの迷いに陥り、コラのように背いて滅びます。この人たちは、あなたがたの愛餐のしみです。恐れる心もなく一緒に食事をしますが、自分を養っているだけです。彼らは、風に吹き流される雨無し雲、枯れに枯れて根こそぎにされた、実りなき秋の木、自分の恥を泡立たせる海の荒波、真っ暗な闇が永遠に用意されている、さまよえる星です。」

18節では比喩ではなく、その理由が説明されている。偽教師たちはむなしい大言壮語を語り、みだらな生活をしていた者たちからようやく逃れた人々を、肉の欲望によって誘惑する。偽教師たちは大きな声で語るが、その多くは内容のない空虚な言葉にすぎない。
彼らはそれだけでなく、誤った生活からようやく離れた人々を肉の欲望で誘惑し、再び奴隷にしてしまう。「誤った人々からようやく離れた人々」とは、異邦人の誤りからかろうじて抜け出した新しい改宗者たちを指す。彼らは教会に来たばかりの人々に、「イエスを信じたのだから、すべての罪は赦されている。どのように生きても救われる」と言って惑わすのである。
19節で、偽教師たちは新しい改宗者たちに自由を約束する。しかし彼ら自身はすでに堕落の奴隷となっている。彼らは放縦な信仰を助長するが、実際には罪の奴隷なのである。人はだれでも、打ち負かされた相手の奴隷になるからである。これは自由を語る偽教師たちの偽善を明らかにしている。新しい改宗者が、罪の奴隷となった偽教師の言葉に従う理由はまったくない。
20–22節は、偽教師への警告なのか、彼らに惑わされた教会の人々への言葉なのか明確ではない。しかし2章全体の流れと19節から考えると、この言葉は特に偽教師を念頭に置いたものであると考えられる。同時に、誘惑に陥った人々に対する間接的な警告でもある。
20主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪くなります。21義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる戒めから再び離れるよりは、義の道を知らなかったほうがよかったのです。(20–21節)
彼らは主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れを避けたにもかかわらず、再びそこに絡め取られた背教者として描かれる。彼らの状態は改宗以前よりもさらに悪くなった。彼らは一度救われたかのように見えたが、行いによって主を否定する者となった。
このように義の道を知りながら、受けた聖なる命令を捨てた者は、その道を知らなかった方がまだよかったのである。イエス・キリストを知る知識は、正しい実践(義の道)と密接に結びついている。使徒たちによって伝えられた教えは、それを守ることによって真実性を持つ。口では神を認めながら、行いで否定する者は忌むべき者である。
「彼らは、神を知っていると公言しますが、行いでは否定しています。彼らは忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。」(テトス1:16)
22節では、イエス・キリストについての知識を知りながら義の道を捨てた者にふさわしいことわざが引用されている。
22「犬は自分が吐いた物に戻る」、「豚は身を洗って、また泥の中を転がる」という、ことわざどおりのことが、彼らに起こっているのです。」

偽教師たちの行動は犬や豚にたとえられる。犬が吐いたものを再び食べるように、偽教師たちも一度捨てた罪を再び取り戻す。このことわざは、箴言26:11の「犬が自分の吐いた物に戻るように、愚かな者は自分の愚かさを繰り返す」から引用されたものである。

また彼らは、豚が体を洗ったあと再び泥の中に転がるように、「聖霊による再生と刷新」(テトス3:5)や「以前の罪からきよめられたこと」(Ⅱペテロ1:9)にもかかわらず、再び世の汚れに戻ってしまう。問題は、彼ら自身だけでなく、信仰の弱い魂までも放縦な生活へと導き、ともに滅びの道へと進ませることである。

ローマ人への手紙において、パウロは、罪の奴隷であった私たちが使徒たちの伝えた教えの型に心から従い、罪から解放されて義の奴隷となったと語っている(ローマ6:17–18)。使徒たちの伝えた教えの型とは福音である。罪の奴隷は、義に対して自由である(ローマ6:20)。罪の奴隷は、思う存分肉の自由を享受し、享楽を楽しむ生活を送る。彼らは見た目には格好よく華やかな人生を生きているように見えるが、実際には罪の奴隷に成り下がった者であり、吐いた物を再び食べる犬のようであり、洗われた後に再び泥の中に入る豚のようなものである。

今の世の中は、食の快楽、享楽、そして淫らで満ちている。テレビ番組は食べ物の内容で埋め尽くされ、有名なシェフは英雄のように扱われる。さらに、享楽をあおる「ファン(fun)」が大きな流れとなっている。多くのテレビ番組は楽しさを中心に編成され、瞬間的な視聴率を上げることに必死である。肉体の快楽を刺激する歌手たちは天文学的な収入を得ている。その中には享楽と淫らの罪に染まる者もいる。そうして社会問題を起こした有名人が教会で証しをしたという話を聞くと、何とも言えない苦い思いが残る。

罪に満ちたこの世界で、誰も罪に完全に勝てる者はいない。救われた後も、日々福音に従って義の奴隷として生きること、それだけが生きる道である。それこそが偽教師に惑わされず、自分の魂を守り、以前の状態に戻ることなく、成熟した信仰へと至る道なのである。

私の黙想

地はその上に降る雨を吸い込みます。ある畑は、耕す人に役立つ作物を生じて神から祝福を受けます(ヘブル6:7)。しかし、別の畑は茨やあざみを生えさせて役に立たず、ついには捨てられ、のろわれ、最後には焼かれてしまいます(ヘブル6:8)。

信仰生活は、外から見ると誰もが同じように見えます。同じイエスを信じ、同じ神に礼拝をささげ、祈り、同じ聖書を読み、同じ教会に通います。しかし、ある人は次第に成熟していき、ある人はむしろ後退していきます。

実に恐ろしいことは、偽教師たちも最初は皆、純粋に信仰生活をしていたという事実です。この御言葉は改めて私を恐れさせます。パウロは、福音、すなわち真理のことばを聞き、神の恵みを悟った日から、信仰が成長し始めるのだと言いました(コロサイ1:5–6)。この御言葉は、私にもそのまま当てはまります。福音を知りながら、日々福音によって生きない見せかけだけの信仰は、誘惑にさらされ、ついには偽教師へと堕ちてしまうことさえあります。

信仰生活は、戦う相手がはっきりしている戦いのようなものです。霊的につまずかせようとする悪魔がおり、また享楽と淫らをあおる世の中が存在します。さらに、偽教師や異端の勢力が、無知な信者たちを脅かしています。これらは、一度恵みを受けた者であっても、再び罪の奴隷にしてしまう力を持っています。

だからこそ、日々福音に従い、福音の力が現れて罪から解放され、義の奴隷として生きることが重要なのです。

私自身も同じです。多くの恵みを受け、福音を伝える尊い務めを任された者であっても、一日たりとも福音の前に自分を服従させなければ、戸口に伏している罪の力に、たちまち打ち負かされてしまいます。知らず知らずのうちに犯してしまう罪を主の血によって洗いきよめていただき、肉において苦しみを受けられたキリストにあって罪をやめ、残された肉の時を神のみこころのために生きることができるよう、私は祈り求めます。

黙想の祈り

父なる神様…。
あの時代の偽教師たちも、そして今の異端の勢力も、外側は敬虔に装っていても、その内側では徹底して肉に従って生きている者たちです。彼らは白昼から享楽にふけり、空虚な言葉を並べ立てるだけのむなしい話で、弱い信者たちを惑わします。彼らの目には神を恐れる思いがなく、情欲に満ちています。彼らは自分自身だけでなく、他の人々までも引き込み、罪に罪を重ねさせる、のろいの子どもたちです。驚くべきことに、彼らもかつてはイエス・キリストについての知識を知り、義の道を知っていたのです。

父よ…。
御言葉は、他の誰かではなく、まさに私自身を見つめさせます。私は一つの指で偽教師たちを告発しますが、残りの四つの指は私自身を指しています。私もまた肉を持つ者であり、いつでもつまずく可能性があります。しかも罪の力は、ほえる獅子のように、だれかを吞み込もうと探し回っています。世の中はあらゆる享楽と淫らをあおり立てています。見ることも、聞くことも、歩むことも、すべてが誘惑となっています。

父よ…。
私は自分の弱さを知っているので、つまずくことを恐れます。私はいつでも、吐いたものを再び食べてしまうような者です。新しく生まれる洗いを受けたにもかかわらず、再び世の汚れの中に転がってしまう者です。主よ、私は弱いしもべです。どうか日ごとに福音を聞き、また聞き続け、義のしもべとして生きることができるようにしてください。それ以外には、罪の力に打ち勝つ道がありません。津波のように押し寄せるこの世の流れに、自分の力では逆らうことができません。どうか私のからだと、そのすべての器官を、義の器として、ただあなたにささげることができますように。

イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
アーメン。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次